マルス生みの親 岩井喜一郎
マルスウイスキーの生みの親である岩井喜一郎は、アルコール精製技術の第一人者として知られていました。日本人として初めてウイスキー造りを学ぶことになった竹鶴政孝氏をスコットランドへ派遣した人物でもあります。
本坊酒造の顧問に就任した岩井はウイスキー部門の計画を任され、竹鶴氏が提出した国産ウイスキーの原点である「ウイスキー実習報告書」と、自らの専門的知見と経験に基づき、工場の設計と製造指導に携わります。こうして、ジャパニーズウイスキー創生までさかのぼり歴史的系譜で繋がる「マルスウイスキー」が誕生しました。
岩井式ポットスチルの稼働から
半世紀以上
ウイスキー製造のシンボルともいえる蒸溜釜(ポットスチル)。現在もマルス駒ヶ岳蒸溜所では岩井氏設計のポットスチルが稼働しているほか、初代ポットスチルが展示されています。
マルスウイスキーの歴史を語る上で欠かせないポットスチル、そして岩井氏への感謝と尊敬の念を込めてブレンデッドウイスキー「岩井トラディション」と名づけられました。